藤野について
《都心に一番近い里山》
心安らぐ自然に囲まれた町 - 藤 野 –
町の中央部に相模湖、北には1000m級の急峻な山々、
南には500m級のなだらかな山々という豊かな自然と
そこに暮らす人々が訪れる方をあたたかく迎えます。
《伝統芸能と芸術のまち》
自然の中に点在する芸術作品の数々と、
この地に魅せられた芸術家たちの活動により
魅力に富んだ “森・湖・芸術のまち” となっています。
市内在住の芸術家や市民の自主企画・運営による
“アート・スフィア”は
一年を通して様々なイベントを開催しています。
《データ》
相模原市旧藤野町は、神奈川県の最北西端に位置し、
町域は東西6.8km、南北13.5km、人口約8,700、
東と南は相模原市旧津久井町と、
西は山梨県上野原市、道志村、
北は東京都八王子市、桧原村の4市町村に接しています。
神奈川県相模原市の北西部、緑区内にある旧藤野町(2007年相模原市に合併)は、ぐるりを山に囲まれた、人口約9千人弱の里山のまちです。
JR中央本線や中央高速道路が通り、首都圏からのアクセスもよいところです。
藤野の駅を降りたら見える山々の景色に、びっくりされるのではないでしょうか。
眼下に広がる相模湖は、相模川の最上流に位置し、神奈川県の水がめを守る町。
それゆえに豊かな自然を残し、開発という流れから逃れました。
戦前以前は炭焼きや養蚕を生業とした里山。
戦中戦後、戦火を逃れた疎開者が多く集まりその中には、藤田嗣治や猪熊弦一郎などの芸術家たちもいました。彼らは相模湖周辺を芸術村にみたてて「大芸術都市構想」を語り合ったそうです。
やがて、藤野に創作の場を求めて芸術家たちが移住してきはじめました。
1986年、神奈川県により「ふるさと芸術村構想」が提案され、野外彫刻などが点在する一周6kmの「芸術の道」や「藤野芸術の家(旧県立)」などがつくられました。
内外のアーティストを呼び、大きなイベントも開催されて、藤野は芸術の町として認識されました。
芸術の村の構想は、県から町、町から人へと手わたされて、イベントは芸術家だけのものではなく、藤野に暮らす住民の手づくりの“おまつり”や“プロジェクト”として、藤野を楽しくさせる要因のひとつになりました。
藤野が拠点となっている全国的な活動や、日本で初めて起こったことが三つあります。
1996年にはNPO法人パーマカルチャー・センター・ジャパンが藤野に拠点をおきました。パーマカルチャーは、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法です。
毎年講座が開かれて、卒業生は約1000人以上になります。
2004年10月には、東京シュタイナーシューレという校名で、シュタイナー教育をしていた学校が、藤野で学校法人 シュタイナー学園初等部・中等部・高等部(高等部は2012年)が開設されました。「芸術としての教育」「自由への教育」を行うオルタナティブな教育方針です。
2009年には、トランジションタウンの活動がはじまりました。地球規模のピークオイルや気候変動などの問題を、市民が創意と工夫によって、地域の資源を最大限に活用しながら脱石油型社会へ移行していくための草の根運動です。
地域通貨よろづ屋、藤野電力、森部などのワーキンググループがあり活動しています。
寛容で開放的な空気がある藤野の町は、地元の住民によって醸し出され、戦後移住してきた住民にとっても住みやすい環境をつくっています。戦後移住してきた人口は半数以上にもなり、芸術家をはじめ、クリエイターの気質をもった住民も約300人以上いるのではないかと言われています。
夏は、地元自治会のお祭りをはじめ、毎週ごとにどこかで何かのイベントがあるような、活気のある町です。
新しいライフスタイルを提案できる空気があるところです。